ヤナーチェクを探す旅

去年の秋にチェコのブルノに訪れた。

 彼の曲をさらう内に気に入ってしまい記念館やベセダ会館(※後述)に気がつけば訪れたくなるほど没頭していた。

 プラハからバスで3時間、値段も10ユーロほどで行くことができた。

 ブルノはチェコの東にある都市というより、こじんまりした町で非常にコンパクトでプラハより観光客も少なく歩きやすかった。ただ今回の旅の目的はヤナーチェク記念館とベセダ会館を一目見る予定で滞在時間は4時間ほどしかなかったため、協会などは音楽関係以外は素通りしてしまった。

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ブルノの風景

 

さて、ヤ巡りで最初に訪れたのは

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ヤナーチェク歌劇場

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歌劇場の目の前のヤナーチェク

 この像の存在は知らなかったので一目見れて満足でした。

 

次は記念館と例の会館について書く。

コロナウイルスがそれほど脅威ではないと言われているそうですが、油断せず気をつけて下さい。 

 

ショパンの誕生日にワルシャワで過ごす

 


ワルシャワでは2月22日から3月31日にショパン生誕週間として、市内のいたるところでコンサートが開かれる。特に3月1日にはワルシャワフィルハーモニーホールで規模の大きなものが開かれ、若者から老人までコンサートを聞きに集う。

 今年は留学して2回目の誕生日だが、今年はショパンのトリオにモーツアルトや今年生誕記念であってかベートーヴェンを加えたプログラムであった。ちなみに去年はショパン国際ピリオド楽器コンクールがあり、優勝者のトマシュ・リヒテルがコンチェルトf-mollをプレイエルで演奏し、ポーランドの若き次世代のピアニストに拍手喝采であった(CDを買って長蛇の列に並んでサインまでもらうほど当時は感動した)。

 ちなみに今年は行きませんでした。

今年はショパン国際コンクールがあるので楽しみですね。コロナウイルスが心配ですが。。。。もしかしたら予選とか延期になるかもしれませんね。

f:id:pfbrahmspf:20191009174513j:plain誕生日には正十字架教会のショパンの心臓が保存されている柱に花が手向けられる。

タウジヒの人物像

タウジヒはリストを師事するようになって才能を認められ、リストの弟子の中でもっとも優れた弟子となり、またリストがコンチェルトを指揮するときは、ソリストを勤めるほど師からの信頼も熱かった。しかしリストのような派手でかつ大胆でテクニックを見せびらかすような演奏を嫌い、彼は技巧的でありながらもタッチは正確で音の一つ一つ職人のように作りこむ演奏家であったという。また彼の手はリストのように大きくはなかったがあらゆるパッセージも涼しい顔で弾きこなした。

 彼自身のオリジナルでの代表作はバラード「幽霊船」で演奏会でたびたび取り上げられ、録音もいくつか残っている。http://www.bearton.pl/en/sklep/chopin-liszt-tausig-ballads/

タウジヒはリストのよう当時の作曲家の曲をピアノに編曲し、支援もかねて演奏会で演奏し、特にワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の3つのパラフレーズの第一曲目で、前奏曲とイゾルデの愛と死の編曲が見事である。(3) Three Paraphrases on Wagner's Tristan und Isolde, No. 1 Liebesscene - Verklärung - YouTube

 

 タウジヒのレパートリーは当時のショパン、リストなどの現代曲からスカルラッティなどの古典派まで暗譜で弾きこなした。特にショパン、ヴェートーベン、ウェーバーの演奏に定評があり、ロマンティック歌い上げたという。

 

 ちなみに交響詩の作曲においては、リストより詩の内容を音楽的にうまく結びつけて作曲できたらしいがその譜は現存していない。またリストの交響詩を多数編曲しており最近Musica Budapest社から交響詩前奏曲」が発売された。http://www.gakufu.net/composer/liszt/liszt-embpianopiece.html

購入して実際に目を通したが大雑把で退屈で単調な印象を受けた。

カール・タウジヒについて

 

 

カール・タウジヒ(Carl Tausig 1841114日—1871717日)ポーランドワルシャワ出身のピアニスト兼作曲家で、ポーランドに留まらずヨーロッパ各地で演奏活動を行った。ユダヤ系の家庭に生まれ、超絶技巧のピアニストのジギルモンド・タールベルの弟子であった父親(アロイス?タウジヒ Aloys Tausig)に幼いころからピアノの手ほどきを受けた。父も作曲家であり、ピアニストであった。タウジヒは比較的手が小さいかかわらず、テクニックに優れていたという。

 タールベルク(1812~71)とは、「象牙の戦い」と呼ばれる1837年パリでピアノのテクニックをリストと競い合ったピアニストである。

 14歳のころ当時ヴァイマルで宮廷楽長をしていたフランツ・リストのもとを訪ねて師事を認められ、すぐにリストの弟子として有名になる。その後彼の演奏旅行に同行し、ピアノのレッスンを受けながら対位法、作曲法、管弦楽法を学ぶ。16歳のころリヒャルトワーグナーと出会い、献身的な支持者になり親交を結ぶ。また同時期、ヨハネブラームスとも親交を結び、彼の作品を賞賛した。カールは特にワーグナーのオペラを好み、多くの作品を編曲で残している。彼あの作品については、下にまとめた。

 17歳のころベルリンにてハンス・フォン・ビューローの指揮によるコンサートで舞台に立つ。コンサート終演後、彼の技巧的な演奏を賞賛する者もいれば、大雑把でうるさいだけだと批評するものもいた。その後カールはより研鑽を積むため、リストとのいさかいごとも相まって彼のもとを離れた。

 18歳から19歳のころドレスデンに定住してドイツ国内で演奏活動を行った。1862年にウィーンに移利、他の作曲家の交響詩を編曲し、コンサートを開いたが、芸術的な活動においては成功したが収入はよくなかった。1965年でベルリンでピアノ教室を開くが、すぐに教室を畳んでヨーロッパ各地で演奏旅行を行い、模範的な演奏技巧によって知られるようになった。29歳の時にライプツィヒにて、腸チフスにより他界した。

 

と、Wikiの内容を訳してまとめてみたが、他に資料が見当たらない........

 やはり19世紀ポーランドの情勢やユダヤ系の家計ということが相まって、バダジェフスカのように焼き捨てられ、軽視され続けているのか。バダジェフスカは最近再評価の流れがあり、再研究され始めているので今後まとめようかと思う。

次回はタウジヒの作品についてまとめる

 

はじめまして

このブログでは主にクラシック音楽について取り扱おうと思うが、ショパンモーツァルトなどの有名な作曲家は嫌と言うほど演奏され、おびただしいの論文やビギナー向けから音楽を生業にする人向けの記事が雑誌やブログなどで取り上げられ、この2019の年の背にできたこのブログでわざわざこれ以上彼らのような有名な人物について書く必要がないように思う。

 そこでこのブログでは大作曲家の影に隠れ、演奏機会が少なかったり、あまり名前が知られていない作曲家について紹介しようと思う。また自ら弾いて動画サイトにUPしたり曲の分析を行って魅力を伝え、少しでも多くの人にマイナーな作曲家や曲と出会う機会の場になれば幸いである。

 また現在ポーランドに住んでいるため、ヨーロッパ諸国を旅行した際の写真を日記程度にupしてていこうと思う。